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鹿港民俗文物館
編號圖
鹿港民俗文物館
裝飾圖
日本統治時代、辜顕栄(コケンエイ)氏は台北に「大和行」を創立させた。塩田を拓き、食塩や樟脳売りなどの事業を行っていた。「高雄の陳氏、板橋の林氏、霧峰の林氏と基隆の顔氏」と共に、その当時の台湾の、五大家族の一つだと言われている。大正8年(1919)に辜顕栄(コケンエイ)氏は故郷の鹿港に官邸を建て、昭和9年(1934)には台湾の第一任総統府貴族議員となった。
鹿港天后宮
編號圖
鹿港天后宮
裝飾圖
鹿港天后宮は明末清初に建てられた建築物で、海の守護神である媽祖が祀られている。雍正3年(1725)、清朝官員だった施世榜氏によって土地を提供されたため、現在の場所に移された。 鹿港天后宮は同治13年(1874)と昭和11年(1936)に改装され、そして、昭和11年に建て直された後、その規模や建物の造りが現在のようになった。1985年には第三級県の重要文化財になり、1992年に媽祖文物館が設立された。 天后宮の中に清朝の皇帝・雍正から贈られた「神昭海表」、乾隆から贈られた「神昭海表」、光緒から贈られた「與天同功」、また、福建巡撫王紹蘭氏、鹿港同知王蘭佩氏、孫壽銘氏、福建陸路提督許文謨氏などの清朝歴代の皇帝や有名な人物から贈られた横額が貴重な文化資産となって保存されている。 建物の造りは「三進両院」という形で、前殿(三川殿)、正殿と後殿がある。三川殿は五開という造りである。また、門扉(もんぴ)は八卦門や正門の空間にまで広がり、「凹」の形で三川殿の空間を作っている。三川殿の石彫りと木彫りは素晴らしく、台湾で名作だと言われている。天后宮には石窓の透かし彫り、竜虎の石彫など、丁寧な色彩と木の彫刻がある。ゆっくりとご鑑賞していただきたい。
鹿港竜山寺
編號圖
鹿港竜山寺
裝飾圖
鹿港龍山寺は明末清初に建てられた。当初は鹿港の旧港(今の大有街)の辺りにあったが、清朝時代の乾隆51年(1786)に武官陳邦光氏によって現在の場所に移された。龍山寺は、乾隆60年(1795)、道光9年(1829)、咸豊2年(1852)、昭和11年(1936)と民国75年(1986)の5回の改築を経て、1983年に第一級国定重要文化財に認定された。 1999年、921大地震で龍山寺は大きな被害を受け、正殿の屋根、山門と舞台の柱が崩れたため、政府は2001年から積極的に補修工事を行った。また、鹿港の企業-寶成国際集団の代表取締の蔡其瑞氏と社長の蔡其建氏が、国家の文化資産を守りたいという志で補修費の全額を負担した。この百年で最も大掛かりな補修工事を行った。 龍山寺は約1600坪(3200畳)の広さがあり、「三進二院七開」という造りで、山門、五門殿(舞台を含む)、正殿(拝殿を含む)、後殿がある。舞台の天井板には「八角井」が採用されている。「八角井」は道光11年(1831)に改築されたときに作られた。この「八角井」は、台湾の工芸美術の中で最も古く、また名作だと言われている。舞台にこの「八角井」があることで、演じる際に音が共鳴する効果がある。そして、八卦は「魔よけ」の意味もあり、平安や福を招くとされる意味を持つ。