観光スポット特色
彰化地区の平原は果てしなく広く、明の末期から清の初期、漢民族は次々に台湾西岸に移民し、荒野を開拓しました。本県の濁水渓といった河川が潤った平原をもたらし、土壌は肥沃で、大量の移民をひきつけました。民衆のための水利灌漑のために、康熙年間から彰化南部に「八堡圳」が建てられ、康熙50年(1711年)に完成し、濁水渓の水を引き込み灌漑しました。管の長さは 230里に達し、彰化平原の人口の基礎を築きました。彰化県福興穀倉は本省中部最大の日本式穀倉で、また台湾で希少な日本式穀倉の地方でもあります。今日に到るまで、完全に当時の穀倉の建築と施設が保存されています。米糧を保存するために、清代以降、盛んな小型穀倉の俗称は「古亭畚」で、又の名を「古灯棚」と呼ばれていました。日本が台湾を統治した後、稻穀を増産するために、精緻で実用的な穀倉保存が設計され、且つ精米室が設けられ、保存から精米で一貫した施設となりました。福興穀倉を観察すると、その時代の時代的意義や特殊な建築構造が具備されているのみならず、工夫の結晶がみられます。