観光スポット特色
彰化の関聖帝廟は清雍正13年(1735年)彰化県知事秦士望が創建したものです。元住所はお城の南門辺りにありましたが、乾隆51年林爽文らが清政府の統治を反抗し、彰化城内数多くのお寺、廟及び官庁が戦争で壊れました。清政府が戦争を治めた後、1800年県知事胡応魁、貢生 (生員から抜擢されたもの)鄭士模、呉東升らの提案で、今の住所に移りました。優美な建物の中に、巨大な神像が精巧に彫り刻まれています。それに、歴史長い碑や扁額も多く見られます。その構造は台南、新竹、新荘などの関聖帝廟とよく似ていて、清時代台湾式関聖帝廟の代表的な様式ともいえます。関聖帝廟は普通東方を面しないが、ここが東に向かっているのも特色の一つです。正殿には関羽を祀り、副祭神を関太子、周将軍及び赤兎馬にされています。後殿では文昌帝君を祀ります。清時代嘉慶時期の正門扁額「威鎮 海邦」は今でも殿内に掛けられています。建築物の木造部分は簡単なラインで、力学的な美しさを見せ、風合いの素朴な彫刻も官建ての廟の特色を現しています。建物の造り方から見れば、当時この廟は広東からの建築士に建てられたと判断できるでしょう。ここ数年間の修復で、昔の厳粛典雅は今でも残っています。
建物の造り方から見れば、当時この廟は広東からの建築士に建てられたと判断できるでしょう。ここ数年間の修復で、昔の厳粛典雅は今でも残っています。
清時代嘉慶時期の正門扁額「威鎮 海邦」は今でも殿内に掛けられています。建築物の木造部分は簡単なラインで、力学的な美しさを見せ、風合いの素朴な彫刻も官建ての廟の特色を現しています。