観光スポット特色
旧名観音亭。清国が派遣した初めての彰化県長官談経正知県(知事)が雍正二年(1724年)に建てたのです。旧彰化は諸羅県(今の嘉義県)の所轄で、彰化県庁の官庁ができあがってからはじめて独立した県になったのです。開化寺は県庁より早く建てられたので、「お城と官庁より早く創立され、彰化の政治・教育・文化の発足地として、第一のお寺である」とされていました。
清乾隆皇帝18年(1753年)が住民の資金で再建されましたが、彰化県民陳周全が清国政府と戦い、指揮司令部とされ、戦争で壊れました。道光20年(1840年)建てなおされました。咸豊10年火事に見舞われた後、住民の戴潮春らがここを基地として清政府と攻めあい、もう一度ダメージを受け、同治時期になってから修復されたのです。日本統治時代、山川門(四本柱で三つの入り口に成る門の構造)は道路拡大で取り壊され、北側に正門を作りなおされました。正門には開化寺と題字されました。
開化寺の主祀神は観音様で、両側には十八羅漢を祀ります。後殿には註生娘娘(安産担当の女神)と珠公珠婆(天然痘を治療する神様)などを祭ります。
日本統治時代、山川門(四本柱で三つの入り口に成る門の構造)は道路拡大で取り壊され、北側に正門を作りなおされました。正門には開化寺と題字されました。
開化寺の主祀神は観音様で、両側には十八羅漢を祀ります。後殿には註生娘娘(安産担当の女神)と珠公珠婆(天然痘を治療する神様)などを祭ります。"