日本統治時代、辜顕栄(コケンエイ)氏は台北に「大和行」を創立させた。塩田を拓き、食塩や樟脳売りなどの事業を行っていた。「高雄の陳氏、板橋の林氏、霧峰の林氏と基隆の顔氏」と共に、その当時の台湾の、五大家族の一つだと言われている。大正8年(1919)に辜顕栄(コケンエイ)氏は故郷の鹿港に官邸を建て、昭和9年(1934)には台湾の第一任総統府貴族議員となった。
鹿港民族博物館は元々は辜氏の官邸で、「混合風格」という建築方法で造られた。外観はヨーロッパのルネサンス時期の柱の形式で、マサール式の屋根と両側の鐘楼、それに、外壁に高級なタイルを張り、西洋の柱の形式は洗い出しの方法で立体感を出している。日本統治時代の鹿港で最も細密な豪邸建築であったため、この建物は地方の人々に「大和」と呼ばれている。
民国62年(1973)11月10日、辜振甫(コシンホ)氏、辜偉甫(コイホ)兄弟(辜顕栄(コケンエイ)の息子)は、民俗文化を宣揚するために「財団法人私立鹿港民族博物館」を成立した。当初は、相関文物は辜氏から寄付されたものだったが、その後、地方の住民から寄付されたものも展示されるようになり、現在、鹿港民族博物館の収蔵している文物数は約六千個にのぼる。約1400坪(2800畳)ある鹿港民族博物館の敷地の中には、洋式の建物内に九ヵ所の展覧室があり、それぞれ写真などの文献、服装やアクセサリー、演劇曲、楽器、宗教、民俗礼儀、食器、書法芸術品などの文物が展示されている。 |